蝶理で働く人

濵川 周太郎

キャリアを積んだ後に訪れた、新たな領域への挑戦

    私が入社した1998年当時、入社した若手の多くは“事務管理部”という部署からスタートすることになっていました。伝票の処理や船積みの手配といった、いわば営業の補助を行うその部署の仕事を通じて社内勉強をした上で現場へ配属、といった流れだった訳です。私も1年半ほどの勉強を経て、1999年に機械部(当時)へ配属となりました。日本製の印刷包装機械の輸出などを行うその部署で10年以上の経験を積んだのですが、2012年に思いがけず異動の話が舞い込むことに。当時38歳、中堅として業界にもある程度精通してきた頃だったので悩みましたが、逆に新たな領域で経験を積むには良いタイミングだと考え、異動を受諾。結果、現在所属するファインケミカル部で新たなやりがいを見出しているので、やはり良い決断だったと考えています。
    印刷関連の機械が中心だったそれまでの仕事とは異なり、ファインケミカル部で私が扱うのは医薬。中でも薬になる前段階の、初原料と薬の間にある“中間体”や“原薬”が中心です。日本でつくられた薬の“レシピ”を元に、インドを中心とした国外のメーカーでそれらを製造し、日本のお客様へ販売するこのビジネス。薬という何より品質が優先されるものを扱うので、製造工程の管理や調整は非常に大切になります。

ビジネスの難易度が高いインドで、信頼と商圏を築く

    このビジネスに携わって感じるのは、インド人のビジネスの上手さです。だてに「ゼロを発見した」と言われていないな、という気がしますね。また、当社で多く扱う“ジェネリック医薬品”においても、インドは一大生産国。理系人材のレベルの高さも相まって、その開発力は世界有数です。
    あらゆる領域においてグローバル化が進む近年、医薬においてもそれは同じ。全世界共通の製造管理・品質管理に則って生産することが必須であり、もし逸脱した工場があれば、世界中でニュースになります。その意味で、インドのクオリティは信頼されているのだと言えますね。また、安定した品質やスケジュールを守る上で、彼らとのコミュニケーションは欠かせません。特にメインの供給元では、食事や会話を通じて現場のワーカー・オペレーターまで顔見知りになるほど。ともに夜遅くまで働いたことやトラブルに出会い四苦八苦したこともあります。そうした様々な苦しい想いを通じ、格好良く言えば“戦友”のような存在になることで、裏切らない人間関係ができていくのだと考えています。とはいえ、それは国内のお客様でも同様。国籍や文化に関係ない世界共通の感覚なのかもしれませんね。

“いましかできない”インドで、自分の力を試したい

    平均で毎月10日間、長い場合は2週間程度インドに出張しますが、深く知るほどにジェネリック医薬品とその生産国としてのインドに大きな可能性を感じています。できれば、駐在員としてじっくりと現地でビジネスを拡げたいですね。実は、蝶理にとってインドは“苦手な国”。これまでにも2度ほど、事務所をつくっては閉鎖して、と繰り返した歴史があります。そんな中、ようやく数年前にムンバイに事務所が再び開かれ、2015年には現地法人化にも成功。より大きなビジネスを生み出す環境が揃ってきました。また、個人的に抱いているのは「インドに駐在するなら、いましか勤まらないのではないか」という想い。商売上手なインド人と対等にビジネスをするには、20代や30代の自分ではおそらく経験不足だったはずです。体力的には務まっても、数字に強くネイティブ並みの英語力を持つ彼らが相手では、おそらく「若造が来たな」といなされるだけだったでしょう。とはいえ、逆に50代になった後では、多くの知識があっても体力的に辛いはず。心身ともにまだまだ充実していて、ビジネススキルも備わった40代のいまだからこそ、“最も難しい”と言われるインドで自分がどれくらい通用するのかを知りたいという気持ちがあります。個人の力が何より重要視される蝶理という会社では、社員1人ひとりの影響力が重要。だからこそ、自分を試せるし、その結果がダイレクトに返ってくる環境でもあります。これからも、タフな環境でビジネスを学び、巨大な商圏を掴めるビジネス力を育てたいですね。

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